「サユリスト」という言葉を生んだほど、長年にわたって国民的人気を誇る女優・吉永小百合さん。
清純派のイメージが強い吉永小百合さんですが、子供時代は病気と貧困に苦しむ壮絶な日々を送っていたことをご存知でしょうか?
この記事では、吉永小百合さんの幼少期の病気や家庭環境、そして芸能界入りのきっかけについて詳しく解説します。
吉永小百合のプロフィール

オリコンニュースより引用
まずは吉永小百合さんの基本情報をご紹介します。
- 本名:岡田小百合(旧姓:吉永)
- 生年月日:1945年3月13日
- 出身地:東京都渋谷区
- 血液型:O型
- 身長:155cm
- デビュー:1957年、ラジオドラマ「赤胴鈴之助」
- 代表作:「キューポラのある街」「北の零年」「母と暮せば」など
吉永小百合さんは1945年、終戦の年に東京で生まれました。戦後の混乱期に幼少期を過ごし、小学生の頃から芸能界で活躍。現在も第一線で活躍する日本を代表する女優です。
80歳を迎えた今も美しく凛とした姿で映画に出演し続ける吉永さんですが、その人生の出発点は決して順風満帆ではありませんでした。
吉永小百合の子供時代の病気は「肺炎」!入院を繰り返した幼少期

1歳で2回も命の危険に!「肺炎っ子」と呼ばれた少女時代
吉永小百合さんは、子供時代に深刻な病気を抱えていました。それが「肺炎」です。
2021年のインタビューで、吉永小百合さん自身がこう語っています。
「私、幼い頃は体が弱くて病気がちで。1歳のときに二度も肺炎にかかって、命の危険にさらされました」
「小学校に上がってからも、すぐに肺炎になってしまうので『肺炎子』というあだ名がついたほど(笑)」
婦人公論
具体的には、以下のような深刻な状況でした。
- 1歳の頃:半年の間に2回、シリアスな肺炎で入院
- 小学4年生まで:毎年のように肺炎になり入院を繰り返す
- あだ名:「肺炎っ子」と呼ばれるほど病弱だった
当時は現代のように医療が発達していない時代。肺炎は子供にとって命に関わる重病でした。
吉永小百合さんの母親によると、1歳の時は本当に命が危ない状態だったそうです。
アメリカから入ってきた「ペニシリン」が命を救った
吉永小百合さんが幼い頃に命を救われたのは、当時日本で使えるようになったばかりの「ペニシリン」という抗生物質のおかげでした。
「でも、そのとき私を診てくれたお医者様が、当時、日本で使えるようになったばかりのペニシリンを投与してくださったおかげで救われた」
婦人公論
ペニシリンは1940年代後半にアメリカから日本に導入された画期的な薬でした。もしこの薬がなければ、吉永さんの命はなかったかもしれません。
当時としては非常に貴重な薬で命を救われた経験が、後に「医師の役を演じたい」という夢につながっていくのです。
エラコ1歳で2回も命の危険にさらされるなんて、本当に壮絶な幼少期ですよね。



現代なら抗生物質で簡単に治る病気も、当時は命がけだったことがよく分かります。
吉永小百合が12歳で芸能界入りした理由は家計を支えるため!


父の事業失敗で一家は極貧生活に
吉永小百合さんの子供時代は病気だけでなく、家庭は経済的にも非常に厳しい状況でした。
吉永小百合さんの父親は東京大学法学部を卒業したエリート官僚でしたが、退職して事業を起こしたものの失敗。一家は借金を抱える生活に転落してしまいます。
2019年のテレビ番組「サワコの朝」で、吉永小百合さんはこう語っています。
「うちは父が事業に失敗して、借金取りが押しかけてきて。母がピアノを教えて生計を立てていた。何か家計の足しになることをしたいと思っていた」
デイリースポーツ
当時の家計状況は以下の通りでした。
- 父親:事業失敗後、収入がほぼゼロ
- 母親:ピアノ教室を開いて家計を支える
- 家の状況:米びつに米が1粒もない日もあった
- 借金取り:頻繁に家に押しかけてくる
母親の吉永和枝さんは、歌人としても活動していましたが、ピアノ教室の収入だけでは一家を支えるのは困難でした。
「家計の足しに」と12歳で芸能界デビュー
そんな苦しい家庭状況の中、吉永小百合さんに転機が訪れます。
吉永小百合さんは1957年、小学6年生の時にこのオーディションに合格し、芸能界デビューを果たします。
- デビュー年:1957年(12歳)
- 作品:ラジオドラマ「赤胴鈴之助」
- きっかけ:親族の紹介
- 動機:「家計の足しになることをしたい」
病弱な体を抱えながらも、家族のために働こうと決意した12歳の少女。その健気な姿勢が、後の大女優への第一歩となったのです。



東大卒の父親が事業に失敗し、借金取りが来る家…子供心にどれほど辛かったか想像に難くありません。



病弱な体でありながら「家計の足しに」と芸能界入りを決意した吉永さんの強さには、本当に頭が下がります。
病弱だった子供時代の吉永小百合が健康になった転機は芸能界デビュー!


2021年のインタビューで、吉永小百合さんはこう振り返っています。
「体が弱かった少女時代だったが、1957年にラジオドラマ『赤銅鈴之助』でデビューすると多忙になり一変。当時は小学生で『学校に行って夜はスタジオで録音。そうすると病気なんかしていられない。根性がついたのかも』と振り返る」
中日新聞
芸能界デビュー後の生活の変化:
- 平日:学校に通いながら、夜はスタジオで収録
- 休日:撮影やイベント参加
- 体調管理:「病気になっている暇がない」という意識
- 結果:小学4年生まで毎年患っていた肺炎が激減
多忙な芸能活動が、逆に吉永小百合さんの心と体を強くしたのです。
「この職業をやって良かった」と振り返る
吉永小百合さんは後に、こう語っています。
「その後、盲腸や虫垂炎になったことはあったが『後は大きな病気をしないできた。健康上はこの職業をやって良かったのかも』」
中日新聞
病弱だった少女が、芸能活動を通じて健康を取り戻し、80歳を迎えた現在も第一線で活躍している。これは本当に奇跡的なことだと言えるでしょう。
医療従事者への感謝を忘れない吉永小百合
幼少期に医師や看護師に命を救われた経験から、吉永小百合さんは「看護師になりたい」と子供の頃から思っていたそうです。
その夢は女優という形で実現し、2021年には映画「いのちの停車場」で初めて医師役に挑戦。長年の夢を叶えました。
「これまでの人生で、医療の現場に携わる方々に大変お世話になってきたので、自分でも、ぜひ医師の役をやってみたかったんです」
婦人公論



病弱だった子供が、忙しさで逆に健康になるというのは皮肉なようですが、素晴らしい転機でした。



「病気になっている暇がない」という精神力が、吉永小百合さんを大女優へと導いたんですね。
まとめ:吉永小百合の子供時代は病気と貧困の連続だった!逆境を乗り越えて大女優に
吉永小百合さんの子供時代は、想像以上に壮絶なものでした。
この記事のポイント:
- 1歳で2回も肺炎にかかり命の危機に。小学4年生まで毎年入院を繰り返した
- 当時貴重だったペニシリンのおかげで命を救われた
- 父の事業失敗で借金取りが押しかける貧困家庭に育った
- 12歳で「家計の足しに」と芸能界デビューを決意
- 多忙な芸能活動が逆に健康体を作り、「根性がついた」
- 医療従事者への感謝を忘れず、70代で初の医師役に挑戦
清純派女優として長年愛されてきた吉永小百合さんですが、その輝かしいキャリアの裏には、病気と貧困という二重の苦しみを乗り越えた強さがありました。
「病気なんかしていられない」という気持ちで芸能活動に打ち込み、家族を支え、そして自分自身も成長していった吉永さん。その姿勢は、現代を生きる私たちにも大きな勇気を与えてくれます。
80歳を迎えた今も現役で活躍し続ける吉永小百合さん。これからも日本映画界の宝として、素晴らしい作品を届けてくれることを期待しています!
